天明四年当時、北町の油屋治兵衛が、泉大津より中古の地車を購入したが、城内に入るのに大きすぎて大手門をくぐれない。困った世話役衆が、徹夜で柱に万力を付けたのが、岸和田独特のカラクリ地車の始まりであり、今日の岸和田地車の起源となっている。 夜は正面大ゴマ提灯の点滅により「北」の字を浮かび上がらせている。